雪不足であったカリフォルニアに大きな嵐が来た。
1月18日の月曜からエルエーも雨が降り続き、マンモスからは雪の知らせが届く。金曜までに260cmの新雪が積もり、いまだに降り続けている。
今週はずっとローカルニュースが方々での洪水、通行止め、大雪による被害を報道している。こんな中をマンモスに向かおうという人はスキーに魂を売った男、嘉藤さんくらいである。僕と佐野さんはどうしても行くという嘉藤さんに、大雪とはどんな物かと好奇心で付いて行くことにした。嘉藤さんが迎えに来てくれたのは一日中降っていた雨が小降りになった午後8時ごろ。彼は昨夜出張から帰る筈であったが大雨による空港閉鎖で今朝の朝5時にアリゾナのフェニックスから飛び立って戻って、そのまま夕方まで仕事をして夜8時からマンモスに行こうというのである。
サンタモニカで佐野さんをピックアップし、嘉藤さんが運転してくれる。
今回は嵐に備え事前に道路情報を集めている。夕方5時まで降り続けた雨はちょうど峠を越しているはずである。
道中は平穏であった、心配していた強い雨にも会わず雪も降ってこない。ビショップから道路に雪が残るが、そのほとんどが今日の午前中に降ったように見える。外気は氷点下15度まで下がった。道路には車が少ない。やっぱり今朝まで普通の道路を走るのも大変なほどで方々で大雨の影響が出ている状況でマンモスまでスキーに来るコアな人は少ないのだろうか。
夜中の1時半過ぎに宿のシャモニーに着くと駐車場は思いのほか、満車状態で車が停まっている。何とか停めるスペースを見つけパラパラと小雪の降る中、荷降ろしをする。あたり一面捨て場の無くなった雪の壁である。前回は日帰りだったので、私には去年のクリスマス以来のシャモニーである。
雪に埋まった駐車場
翌朝起きて雪で視界が小さくなったベランダから外を見る。風もなく最高の天候である。おそらく5日間で260cm積もった新雪を滑れる機会は頻繁にマンモスに通う私にもほとんどない。
リフトの動き出す前にキャニオンロッジからリフト乗り場に行くとすでに長いリフトラインが出来ている。長い列の出来たキャニオンエックスプレスを諦めて普段乗ったことのない初心者用の17番リフトで上がってローラーコーストで繋いで5番に行くことにする。この大雪で初心者は少ないので17番リフトはほとんどリフト待ちがない。
外の天候をうかがい、キャニオンロッジに向かう。そこにはすでに長いリフトラインが
ローラコーストで上がる途中でほとんど手付かずの斜面を見つけ、そこで今日の初滑りをすることにした。滑り始めるとすぐにここの雪面はクラフトして冷たい風で吹き固められていることが判った。たっぷりと新雪はあるのだが雪が夜間の強風で押し固められているため、本当の舞い上がるようなパウダースノーではない。
途中から少し林の中に入ると雪が柔らかくなった。柔らかいのは良いが、今度は深すぎて浮力がつかない。前に進まないのですぐに諦めてグルーム斜面でキャニオンエックスプレスにもどる。
今日はまだゲレンデの整備と雪崩のコントロールが追いついていないようで、下の斜面しか開いていない。ウオールストリートを降りる。飛ばしや嘉藤さんを追いかける。グルームされた斜面は雪が良くて何処も今期一番のコンデション、気持ち良い滑りができる。
マンモスで一番人気があるスタンプアレーに行くと、ここにもめちゃくちゃ長いラインが出来ていた。30分以上待ってやっと乗れた。フェースの裏斜面はまだキャットが深雪を踏み固める作業を始めたばかりである。一度マッコイステーションで休憩にはいる。休憩中に嘉藤さんが電話でやり取りしていたラリーが加わる。元カナダナショナルスキーチームのコーチである。やがてラリーの奥さんアリシアが加わる。アリシアも昔スキーのインストラクターをしていたそうである。少し休んで、佐野さんを置いて外にでる。動いているリフトが少ないので、何処も長いリフト待ちをしなければならない。初心者コースを行こうかと話していたら目の前のフェースリフトがスキーヤーを乗せ始めた。グッドタイミングである、すぐにラインに並んだ我々の後ろには この時を待って居たスキーヤーが蟻の子のようにおしよせる。
やっとフェースの裏の斜面のグルームが始まった 。マッコイで様子見。 フェースリフトがオープン
フェースの表斜面しか開いていないので我々の前に乗ったスキーヤーがリフトの下をどんどん降りてくる。手付かずのウエストボールの斜面がどんどん荒らされていく。
やっぱりここは我々もグルームされていないウエストボールを選ぶ。ラリーに遅れないように付いていく。
すこし荒らされているが、まだ充分新雪を味わえる。膝まである深雪である。
深雪に乗るのはスキーの醍醐味だ。雲に乗るような気分でふわふわと左右に舞いながらいくのは孫悟空の気分である。この感覚を味わえるのはかなり上級のスキーヤーに限られる。その点スノーボーダーは中級クラスでこの感覚を味わえるようである。
深い雪の上にスキーが浮いているのでバランスを崩すと片一方のスキーが沈み足を取られる。中腹で転んでしまった。
外れた片スキーを探し、履き直す。すでにラリーと嘉藤さんは下まで下りて待っている。私とアリシアが追いつくと、ブロードウエーを降りる。
どんどん荒らされていくウエストボールとリフト下。すっかり荒らされたウエストボールに立つアリシア
ラリーが行く、嘉藤さんが行く、この二人はマンモスでも別格のスキーヤーである。流れるような切れの良いターンで先を行く。今日のグルームされた斜面は雪質最高、二人のスキーヤーを追いかける私は最高の気分である。一番気持ちよく滑れた部分は充分にインジョイしつつ、この時を記録に残したくてカメラを取り出す。動く被写体を写す、こんな時の私の視線は実物をみて、カメラの画面は見ていない。それでも二人の後ろ姿をとらえ、斜面の後半の部分を写真に撮れた。写真は二人を撮っているが、これは私の心の記憶をとっているのである。写真とエッセイで記録を残すことにより。いつまでも鮮明なその時の思い出を残すことができる。
世界中を旅した旅人の私は人の感動の淡さを知っている。年月がたつにつれ、残念ながら人の感動、記憶はどんどん薄れて行き、やがて現実が夢の中の出来事のようになっていく。「この時」を心に残すのは文明の力を使った方が正確で何時までも残せるのである。この一本は私の心の記憶に残したい一瞬だったのである。
この天候、この雪質、二人の熟練スキーヤーを追いかける至福の時である
今日は何処のリフト乗り場も長いラインが出来ている。山の上半分が開いていないのだからしょうがないが、それにしても混んでいる。メインロッジからでるゴンドラは途中のマッコイステーションを経由して山頂に続いているが今日はマッコイステーション止まりで山頂まで行っていない。ラリーは長いリフト待ちをするのが嫌で、今日はメインロッジから出るゴンドラの待ち時間が一番短いと知っているのでメインロッジからマッコイまでのゴンドラでの移動が主になる。。
ゲレンデをカットしてブロドウエーのリフトの真下の荒地を滑る。これはこれで雪が柔らかくて面白い。
ゴンドラに3回乗るとランチ時間になった。マッコイステーションのゴンドラ乗り場では20人くらいのスキーヤー、スノーボーダー達が何時開くかもわからない山頂行きのゴンドラが動き出すのを辛抱強く待っている。これも手付かずの新雪を滑ると言うスキーの醍醐味を味わうためである。ラリー、アリシアと別れてマッコイにいくと何と、もうあれから2時間たっているのに佐野さんがまだ同じテーブルで頑張っている。
見知らぬ女性が二人同席している。今日は何処のテーブルもいっぱいで、同席を頼まれた佐野さんがオーケーしたものである。佐野さんがいう、「こちらの女性は、日本の事を良く知っているよ。おにぎりも知っているし、結構、日本通だよ」と教えてくれる。私と嘉藤さんが挨拶すると その女性はバーバラさんと名乗った。「
「どうして、日本の事を知ってるんですか?」と私が聞くと「私、日本の学校で教えていたことがあるんです」という。何処のと聞くと「こくさいがくえん」と言ったので「Do you know my wife?」と家内の名前をいうと、「イエス、私、貴方の家に行ったことありますよ」という。「え、えーっ!」である。国際学園は今はもうないトーレンスにあった松田聖子の娘さやかちゃんも通ったことのある日本学校である。こんな偶然もあるんだ。
しばらく私達はビールを飲みながら、彼女達はコーヒーを飲みながら話をして別れた。
マッコイのゴンドラステーションで嘉藤さん、ラリーとアリシア。そしてマッコイで偶然あった家内を知るバーバラさん
さて、午後からのスキーであるが、さすがの嘉藤さんも昨日からの強行軍といくぶん風邪気味の体調で、あまり力がはいらないとの事で、ブロードウエーを一本降りた後、「ゆっくりとキャニオンに向かいますか」ということになった。
ゴールドラッシュから裏に降りて25番リフトに乗る。25番リフトは遅い。途中からいくぶんお腹が差し込んできた。「まー、大丈夫でしょう。何処を降りますか」と、ここはまだ余裕である。リフトの下の林の中を降りてみようということになった。そこから8番リフトの方に抜け、キャニオンロッジに降りることにする。
嘉藤さんを追って林の中を行く、まだ余裕である。結構細かく木の間を縫っていかなけらばならない急斜面である。
後半からお腹が痛くなってきて、グルームされた斜面にぬける。すこし余裕がなくなってきたので、二人を置いて先を急ぐ。先を急ぐと振動も激しくなり突き上げてくる。止まる、進む、振動来る、止まる、なかなか先に進まない。
何とか降りてトイレに直行。入り口からラインが出来ていたがこれは小用のラインと勝手に解釈して、奥に進む。ちょうど清掃係りのメキシカンがいて、私は涼しい顔をいしていたはずなのだが、なぜか緊急事態の人が来たとでも思われたのか、私を招き入れてくれたのだった。じゃあ使ってやるか。シュワーチュッ!でセーフ。イヤだから余裕でセーフでした。
さて、余裕がでて、外に出ると二人が待っていた。「もう一本、8番滑ってくるよ」と私だけリフトに乗り、先ほど果たせなかった一日の閉めの滑りをする。レッドウィングに新雪で出来た良い瘤がある。斜面の上で心を落ち着けて、誰かに見られているつもりで滑りだす、滑り出しの瘤は大きくて不ぞろいである。一つ一つの瘤を細かいターンで攻めていく。後半の細かい瘤の連続を蹴る様に乗り切る。そのままキャニオンロッジへ降りていく。 気持良く閉めることが出来た。
私、嘉藤さん、佐野さん、25番を滑る私
25番にてと、その後 入った林間コース。
嘉藤さんの誕生日が明日なので今夜は誕生日祝いである。嘉藤さんがステーキの夕食を作ってくれている。ラリーを電話で誘う。夕方から夕食の時間までに佐野さんがすでにマティーニでかなりヨパラって居る。佐野さんと付き合いの長い私は嘉藤さんにいう、「今日は佐野さんすでに相当行ってますから、もうあまり飲ませないでください、注意信号です」
ラリーが5時半頃に来た。嘉藤さんの誕生日をシャンペンで乾杯。来月ラリーは息子と自分が育ったカナダ・ウイスラーのオリンピックに行くという。いまだにウイスラーに貸している大きな家が二軒と自分がいつでも使えるコンドを持っているそうで、車はフェラーリしか乗ったことが無いという御仁である。タイミングが合えばコンドに今度 招待してくれるという。コンドに今度は英語での会話であるので勿論、斉藤さんのような駄洒落ではない。
ラリーがテーブルのペーパータオルを使う時、何気なく見ていると半分に千切って残りをさりげなく私に渡す。そういう行為を身に付いた行動として出来るのはおそらく世界中で小さな時から自然の大切さを教えられているカナダ人とスイス人位かと思う。
何時も締めくくりに滑るレッドウイングの斜面。そしてハピバースディー! ユキ
さて、酔っ払い佐野さんはラリーが来る前から「ラリーは日本酒を飲むか?」となんども繰り返していたが、ラリーが帰った後も「ラリーはいつ帰ったの?」とまだ泥酔してる困ったおじさんである。
夜中にトイレに起きると、暗闇の中で何か踏んでしまった。ソファーでうたた寝していた佐野さんが床に落としたメガネである。レンズが片方外れてしまった。こんなとこにメガネを落としておくのが悪い。
翌朝、「佐野さん、また酔っ払って自分でメガネ踏みつけたようで片方レンズのとれた眼鏡が落ちていたよ」といって私が踏みつけたメガネを渡す。35年の経験からいえば佐野さんがこのくらい酔っ払えば翌日大概のことは覚えていない。
今日も良い天気である。睡眠たっぷりの今日が誕生日の嘉藤さんは体調も回復したそうで朝早くから「今日は朝からリフトラインの前に並びましょう」と張り切っているので引っ張られてキャニオンロッジに8時に向かう。「こんなに早くからラインに並んだことは、ほとんどないよね」とぼやく佐野さん。
嘉藤さんが話す。「前回の日帰りのマンモス詣での時、私が斉藤さんが行くというまで電話を切らなかったということになっていますが、実際は最初斉藤さんから今回はいけませんという連絡があり、どうも土日をスキーで潰すと家政夫斉藤(独り者ですけどね)としては掃除、洗濯が出来なくなる。どうしても日曜には洗濯をしないと履くパンツがなくなる、ということでした」「それで、斉藤さん、今回は日帰りになりましたけどうしますか?」と聞いたら、「是非参加させてください、パンツは日曜に洗います!」というのが真相らしい。どうもスキーに魂を売った悪魔の囁きは斉藤さんから嘉藤さんに伝わり、嘉藤さんの口を経て世に伝えられるらしい。仏の斉藤さんは仏のお面を被った悪魔という説が有力になってきた。
山頂は昨日我々が帰路を取った後、3時から1時間だけオープンしたそうである。まったくマンモスのやることは判らない。
23番リフトで山頂にいくことにするが、嘉藤さんはそのまま下にいってしまった。佐野さんと23番に乗るため、急ターンでコースを変えたら、ジャンプしてしまった、そしてその着地点が雪の壁であったのでスキーが突き刺さって転ぶ。スピードが出ていなかったし、雪が柔らかくてよかったが、大雪で地形が少し変わっている。コニースを降りると、そこは遠方から見たのと違い人工雪崩を起した後で凸凹になっていた。大きく右に回りこみ、クライマックスの下部に繋がる斜面で短いが膝までの雪を楽しむ事が出来た。
マッコイで休むという佐野さんと別れて一人でフェースリフトを何本か滑る。フェースリフトの真下が少し硬いが面白かった。さらに2本くらい滑ってるとラリー、嘉藤さん、アリシアと合流する。
人工雪崩で荒れたコニースを行く佐野さん、私の下りたクライマックス手前の下部、新雪が残っていた
ラリー、私、アリシア
ラリーと嘉藤さん、
スコッティーの荒れた斜面をかッ飛んで行く二人
ラリーと嘉藤さんはかっ跳んで行くので付いていくのは大変であるが、アリシアがいると少し休めるので助かる。
裏側の14番のリフト乗り場に降りると、ラリーが「フレッシュパウダーを食いに行こう」という。どこかと聞いて指差す方を見ればヘムロックと呼ばれる一番外れにある山である。しかしそこはリフトがない。その上かなりの急勾配で下からは壁のように見える。
向うに見える壁のような山がホムロック、14番リフトで一度上がる
14番リフトからの眺めはマンモスでも一番美しい。
14番のリフトを下りたところでアリシアと別れ、我々はホムロックへと向かう。途中からスキーを担いで山登りである。この山の存在もたまにこの山から下りてくるスキーヤーが居ることも前から知っていたが、自分でこの山に向かうのは初めてである。
スキーを脱いでここからは山登りになる。。他のスキーヤー、スノーボーダーに追い越されながら、一生懸命前の二人を追いかける、休み休みでもこの高度での山登りは息が上がる。一歩一歩、前の人の足跡を外さないようにたどりながら、結構な急斜面をジグザグと高度を刻んでいく。
この辺は林に囲まれ風の影響がなくパウダーの雪がそのまま残る無さに眩しい銀の世界である。20分ほど歩いてやっと山頂に着いた。
山頂からはそれぞれが自分の選んだ斜面をパウダーのを食いに滑り降りていく。遥か下に見える14番と13番のリフトとアウトポストの休憩所。滑り始めるスキーヤー、スノーボーダーを横目に、ラリーはさらにその先へ行く。
この高度での登りはかなりきつい、黙々と登っていく
一面白銀の世界
滑る用意をする人を横目に、スキーを履いてラリーはさらに先に進む。
そして、視界が開けた手付かずの斜面に着いた時、ラリーが嘉藤さんに言う。「ハピーバースデー、ユキ、これはユキへの誕生日プレゼント」。ワオー、粋な計らいである。
嘉藤さんが滑り出す。深い新雪にシュプールを描いていく。次いでラリーが行く。そして私が彼らの横に跡を付ける。ソフトな雪にスキーが気持ちよく浮く。久しく味わえなかった深雪の感触である。この斜面は今週の嵐で積もった雪がそのまま、手付かずで一週間我々を待っていてくれたことになる。バージンスノーを滑る醍醐味は何にも変えがたい最高のバースデープレゼントである。
そこから先は林の中の急斜面となる。最後の斜面は斜面に立つのがやっとの凄い急斜面であった。何とか最難関をクリアすると少し滑りやすい斜面にでた。くたくたであるが清清しい体験であった。
去年、ラリーが案内してくれたトンネル潜り以来の記憶に残るスキーツアーであった。
視界が開け、この手付かずの斜面、ダイヤモンド・フォエバーが今年の嘉藤さんへのバースディープレゼントである
最高のシチュエーションで、嘉藤さんに続いてラリーがいく。
そして私、この後は急な森林コースとなる
最後の所は相当な難関急勾配、そしてゴール
もう帰らなければならない時間である。13番リフトからメインロッジへと向かう。このリフトは二人乗りである。私と一緒に乗ったスキーヤーが話しかけてきた。「君達、ホムロックで私の前を滑っていたね。あの最初の滑り出しの斜面、手付かずで良かったでしょう、あそこ、ダイヤモンド・フォーエバーっていう名前の場所なんだよ」と嘉藤さんのバースディープレゼントとなった斜面の名前を教えてくれた。永遠なるダイヤモンドである。雪は解けても今日の瞬間は心と映像にダイヤモンドのように永遠に残るのである。
最後は嘉藤さんとレッドウイングの瘤で今日を締めくくる。
スキーは自然の中で出来るスポーツなのがいい。自由に自分が思うようなシュプールを雪面に描けるのが良い。自由ではあるがそこには一定のルールがある。最終的にゲレンデの先にはリフト乗り場など目標とする到着点がある。全体の流れに逆らうような滑りをすれば他のスキーとぶつかる。他人の動きを見て自分の位置を確かめながら進まなければならない。コースから大きく外れ自分の進む方向を誤れば遭難することもある。
天候の良い日も、吹雪の日もあれば、視界の効かない霧の中の日もある。同じゲレンデでも毎日コンデションが違う。それを承知の上で楽しみながら、より高いレベルをめざすのがスキーの醍醐味だと、私は思っている。
それって人生と同じ、しっかりと自分のお足元を踏みしめて進んで行かなければならない。
帰りに感動的に美しい夕暮れに巡り合った。これもまた、心と映像の両方に残したい美しい風景であった。。
完